不感症
「感受性がいい感じなんや」きみはそう言った。ずっとずっと蓋をして感じないことにしていたんだ。あのヒトの。あのトキの。あのコトバも。感じないこと=おだやかでいられる。いちいち揺れなくて済む。長い時間をかけて身につけた生きるための手段だ。
多数派が創り出した世界。
この世は滑稽で歪んだおかしな世界。
その中で生き抜くためにいろんなモノに蓋をして不感症になっていく。
随分と不感症になっていたものだ。よく言えば、上手いこと適応していたということ。感じることもやめてしまったのだから。今思えば、音楽を聴くことも絵を描くことも言葉を綴ることもやめてしまったあの頃から感じることを恐れていたのかもしれない。
込み上げてくる感情は言葉にならなくていつも胸のあたりをざわざわとざらざらと違和感だけを主張してくる。言語化できたらラクになるのだろうか。もはや誰かを愛することさえどういうことなのかわからなくなっている。
あれは愛だったのだろうか
これは愛なのだろうか
ただ埋めるための幻想だったのだろうか
そんなことすらわからなくなる程に麻痺してしまった感受性がうずうずと動き出して内側を揺さぶる。
世界が色づきはじめる。
きみから出てくる言葉はあまりにも純粋すぎて全てを見透かされているようでまっすぐ見ることすらできなくなる。何故そんなにもまっすぐに言葉にできるのか。羨ましくもあり憎らしくもあり愛しくもある。「今」の言葉。今だけの真実。次の瞬間にはかわってしまうかもしれない儚さ。それでもそれが永遠に変わらぬ言葉であるかのように錯覚してしまう。ある意味きみは代弁者。でなければきみから発せられる言葉にここまで反応もしないだろう。こうして書くことさえもきみの言葉に左右されてしまっているのだから。
「愛することだけは得意だから」きみはそうも言ったね。その時ね、それは違うと思った。
きみは誰かを愛してるんじゃない。ジブンを愛したいのだと。ジブンに愛されたいのだと。
誰かを愛しているんじゃないよ。きみ自身を愛するために誰かを探してるんだ。
こんなこと言ったらきみはまた怒るかな。
他人事のように言っているけどこれはジブンに向けた言葉なのだろう。
そういうのはもうやめたんだ。なんて言っときながらきみを探してる。
上手いこと誤魔化しているつもりだけどたぶんきみはわかっているね。
どうかどうかこのままで。